昭和57年11月14日以前の東北本線上野口にはキハ58による「おが」「出羽」「いいで」のディーゼル急行が見られましたが、11月15日ダイヤ改正で全て消えました。
写真は11月14日の上り急行「いいで」です。僅か1時間前の16番線では最終下りひばりの発車を見ようと大勢のファンが押し寄せ、私も極限状態の中で決死の撮影をしましたが、最終「いいで」の到着を見るファンはほとんどいませんでした。
それもそのはず、「いいで」の到着は19:06。ちょうどその時間は7番線で19:19発の最終下りとき27号の見送りがあったからです。
私もこの写真を撮影後は直ちに7番線に向ったはずですが、「いいで」の時間から逆算すると最終ときを狙えた時間は僅か10分程度。この短い時間では下り最終ひばりのような満足行く写真が狙えるわけがありませんでした。
なお上野口のディーゼル急行は57.11改正で完全に消えたわけではなく、常磐線の「ときわ・奥久慈」が昭和60年3月の科学万博開催前まで残りました。
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by w-hikari
| 2008-07-05 13:34
| 鉄道
昭和57年11月15日ダイヤ改正では常磐線経由の「特急みちのく」がひっそりと消えました。
「みちのく」は戦後上野ー青森間の急行列車に付けられた名称がルーツですが、この急行みちのくは昭和43年10月ダイヤ改正で十和田に改称されたため名称は一旦消滅。その後昭和47年3月ダイヤ改正で急行十和田1号を特急に格上げする形で再登場しました。
最終日である11月14日は鶯谷の陸橋上から狙いましたが、ネガを見ると上下ともなぜか後追い写真しかありません。おそらくは別の列車を狙っていたからでしょうか。上野駅では発車前にファン手製のさよならヘッドマークが掲げられたみたいですが、いざ本運転では写真のように普段と変わりない姿で青森に向けて走り去りました。
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by w-hikari
| 2008-07-03 06:55
| 鉄道
上越新幹線大宮開業・東北新幹線の本格開業前日である昭和57年11月14日は昼過ぎの「特急あいづ」の撮影から始めました。
私の好きな車両であるクロ481は総勢16両でひばり・やまびこ・やまばと・あいづ・ひたちで活躍しました。しかし、昭和51年の長崎・佐世保電化に備えて昭和50年3月改正で9両が門ミフに転属。残った7両もこの改正で九州に転属することになっていました。
さて11月14日のあいづですが、上野方1号車は残念ながらクロ481ではなく、既にボンネット型でないクハ481に置き換えられていました。転配の関係とは言え、最後の雄姿を拝めなかった点は今も悔やみます。
ただ仙台方にボンネットクハが連結されていた点だけが救いでした。
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by w-hikari
| 2008-07-01 21:47
| 鉄道